阪神大震災から10数年。
新潟県中越地震、そして今回の能登半島沖地震と大きな被害をもたらす地震が数年おきに発生して、多くの被害や人命が脅かされています。
来るべき東海地震や東南海地震のプロローグという地震学者も現れていますが、
実際に発生したなら、先の二つの地震と比較にならない被害が予想されるので、少なからず恐怖を覚えずにはいられません。
今回の能登半島沖地震では、人的あるいは物的にも先の地震に比して幸いにも軽かったようです。
しかしながら人命も失われ、今でも避難所暮らしのストレスのかかる生活を余儀なくされている方がたくさんいらしゃいます。
いっそうの行政の支援体制の構築の強化を望みます。
支援体制の中でも、今回多くのボランティアが被災者支援に乗り出したことは、いよいよ日本にも恒常的に災害が発生したら駆けつける、ということが根付いてきたのかな?って感じずにはいられません。
弱者に対して手を差し伸べるということに、日本人はなかなか一歩踏み出す勇気を持ち合わせていなかったのが、過去において異常ではありませんでした。
今でも、街中で倒れたときに見て見ぬふりをして足早にその場を去っていく人も多いと聞きます。
心配蘇生法の講習の中で日赤の指導員の方が言われた言葉があります。
それは蘇生法の方法が変わった2000年に
今までは
「誰か助けてください」「誰か119番に通報してください」
と、倒れたときに最初に援助を求めていましたが、この「誰か助けて」
の「誰か」というのは誰も助けてくれないと。
特に都会の人ごみの多いところでは、一人ひとりがみんなそれぞれ、
「誰か助けるだろう」となるらしい。
そのために援助を求める言葉をこう変えたそうです。
それは
援助を求めたい人を見てそして、指差しながら
「あなた助けてください!」「あなた119番に通報してください!」
すると不思議なもので、その指名された人はほとんどが通報してくれるし、最後までその場にいてくれて、助けてくれるようだと。
ちょっと話がそれましたが、人が困ったときに差し伸べる手や勇気が、阪神大震災の多くの犠牲の上に成り立っていることは、それ以降の災害時のボランティア活動を検証すると際立って増えていることにより明白の事実です。
しかしながら、その質に対して批判も増えてきていることも事実なのです。
やみくもに現地入りして、押し付けるような援助が時として行われているようです。
援助が足りていて、断ると怒り出す輩も報告されています。
これらのことは被災者にとっても、なかなか非難の言葉を口にできないのは、”来てもらっている””援助してくれている””遠いところからわざわざ”という災害弱者の立場であるからにほかありません。
ボランティアという言葉が定着し、ひとたび災害が起これば駆けつけ援助できる日本人が増えたことは、大変喜ばしいことです。
これからはボランティアの質という面を一人ひとりが考える時期に来ているのではないでしょうか?
ボランティア活動は決して自己満足ではなく、他人満足であるということを私も含めて、皆が考えなければならないと思います。
新潟県中越地震、そして今回の能登半島沖地震と大きな被害をもたらす地震が数年おきに発生して、多くの被害や人命が脅かされています。
来るべき東海地震や東南海地震のプロローグという地震学者も現れていますが、
実際に発生したなら、先の二つの地震と比較にならない被害が予想されるので、少なからず恐怖を覚えずにはいられません。
今回の能登半島沖地震では、人的あるいは物的にも先の地震に比して幸いにも軽かったようです。
しかしながら人命も失われ、今でも避難所暮らしのストレスのかかる生活を余儀なくされている方がたくさんいらしゃいます。
いっそうの行政の支援体制の構築の強化を望みます。
支援体制の中でも、今回多くのボランティアが被災者支援に乗り出したことは、いよいよ日本にも恒常的に災害が発生したら駆けつける、ということが根付いてきたのかな?って感じずにはいられません。
弱者に対して手を差し伸べるということに、日本人はなかなか一歩踏み出す勇気を持ち合わせていなかったのが、過去において異常ではありませんでした。
今でも、街中で倒れたときに見て見ぬふりをして足早にその場を去っていく人も多いと聞きます。
心配蘇生法の講習の中で日赤の指導員の方が言われた言葉があります。
それは蘇生法の方法が変わった2000年に
今までは
「誰か助けてください」「誰か119番に通報してください」
と、倒れたときに最初に援助を求めていましたが、この「誰か助けて」
の「誰か」というのは誰も助けてくれないと。
特に都会の人ごみの多いところでは、一人ひとりがみんなそれぞれ、
「誰か助けるだろう」となるらしい。
そのために援助を求める言葉をこう変えたそうです。
それは
援助を求めたい人を見てそして、指差しながら
「あなた助けてください!」「あなた119番に通報してください!」
すると不思議なもので、その指名された人はほとんどが通報してくれるし、最後までその場にいてくれて、助けてくれるようだと。
ちょっと話がそれましたが、人が困ったときに差し伸べる手や勇気が、阪神大震災の多くの犠牲の上に成り立っていることは、それ以降の災害時のボランティア活動を検証すると際立って増えていることにより明白の事実です。
しかしながら、その質に対して批判も増えてきていることも事実なのです。
やみくもに現地入りして、押し付けるような援助が時として行われているようです。
援助が足りていて、断ると怒り出す輩も報告されています。
これらのことは被災者にとっても、なかなか非難の言葉を口にできないのは、”来てもらっている””援助してくれている””遠いところからわざわざ”という災害弱者の立場であるからにほかありません。
ボランティアという言葉が定着し、ひとたび災害が起これば駆けつけ援助できる日本人が増えたことは、大変喜ばしいことです。
これからはボランティアの質という面を一人ひとりが考える時期に来ているのではないでしょうか?
ボランティア活動は決して自己満足ではなく、他人満足であるということを私も含めて、皆が考えなければならないと思います。
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